![0ca9c222.jpeg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/884d4d5b787a4516e86cae99e9f7f55e/1260784949?w=339&h=446)
第二十八回は、今やメジャーとまではいかないかもしれませんが、かなり有名な妖怪清姫(道成寺の蛇)です。
これは歌舞伎とか浄瑠璃なんかのネタにもなっているお話です。元々のオリジナルの話自体がかなり古いらしく、細かい位置設定の違いや、登場人物の名前の違い等があり、何パターンかあるようです。
一番有名で一般的なパターンを紹介します。
ある若いイケメンの修行僧(安珍)が、熊野権現へ参拝に行く為にある庄司の家に止めてもらった折に、その娘(清姫)と知り合うのですが、その娘がイケメンな安珍に惚れてしまいます。
安珍はちょっとした戯れのつもりで、もしくはゾッコン清姫に言い寄られて困ってその場しのぎに、「その内お嫁にもらって奥州に連れてってあげるよ。」なんて言ってしまう。
清姫はぞっこんでしたのでそれを聞いて舞い上がり、いつ奥州へ連れてってくれるのとウキウキのハイテンションになってしまわれます。
修行僧の身で奥さんを持つのはムリなので、出任せに言った事を本気に取られてしまい困り果てるイケメン僧安珍。ついにはなんとなくごまかして逃げ出すのだけど、清姫は早くもそれに気付き追ってくる。
安珍はなんとか逃げ切ろうと呪法を使ってまで逃げようとする。清姫はその力で一時身動きが取れなくなるが、みるみる清姫の体が大蛇と化し、金縛りを解いて尚も安珍を追いかける。
イケメン安珍涙目。なんとか道成寺に逃げるけど、まだ清姫は追っかけてくる。そこで何を思ったか、安珍は道成寺の鐘の中に逃げ込んだのです。
なんてB級ホラーの展開。蛇と化してまで追っかけてきてる相手が鐘に潜り込めばなんとかなるなんて思うかな 笑。
案の定、追いついた清姫はその蛇の体でトグロを巻くように鐘に巻き付き、火炎を吐いて釣鐘ごと安珍を焼き尽くしてしまいます。最期には清姫もその蛇の姿のまま入水してしまいます。
女性の恋の執念を蛇に模した物語ですが、この辺の恋心の執念は別に女性に限っての事ではないですよね。この手の殺人事件なんての今でもザラだからなあ。
因みに前記の通りこのお話の元自体はかなり古く、登場人物の名である清姫、安珍も、のちに加わって行った要素だそうです。
清姫がある庄司の娘というパターンの他に、そこの主人の妻というパターンやなど色々です。
また、清姫自体が元々白蛇の化身で人間ではなく、拾われて娘として育てられていたという場合もあるらしいです。そのパターンの場合、安珍は彼女の本性を見て恐れてしまい、逃げ出すという展開になるようです。
また、蛇への変身も、逃げられたショックから入水自殺し、その時の怨念で蛇と化すパターンや、蛇には一切変身せず、安珍も殺さずに自殺してしまうパターンもあるそうです。
まあ、やっぱり一番有名なパターンの話が一番派手でインパクトがありますね。
いわゆる一般受けってやつですか、派手だからこそ派手パターンの話が一番有名なんでしょうね。
蛇はキリスト教とか、いわゆる比較的新しい宗教の中では人類の敵でしかありませんが、古い信仰では必ず崇拝対象になっていますね。
これもしかしたら以前道通様の項目でも書いたかもしれませんが、蛇を祀る習慣は昔日本でお稲荷さん並み、もしくはそれ以上に多かったようです。注連縄というやつも、元々はとぐろを巻いた蛇がモチーフという説もあるくらいです。
ただ、やはりどこの信仰でも蛇の神様としての力の大きさ、強さの反面、その二面性として恐れられてもいました。まあ、そもそもが『畏れ』というものがそれを崇める事の本質であるから当たり前かもしれませんが。
やはり這いにじる姿からの連想なのか、または絡みついて締め上げるように獲物を食らうところからの連想か、蛇は『執念』のイメージが昔から強いみたいです。
また昔から蛇に憑かれると淫乱になるだの、性的な意味での陰獣のイメージもどんどん流布し、後発の強い思想に押されて蛇の信仰は邪教的にとられるようになってしまったようです。
話はちょっと違いますが、『ドラゴン』ではなく、『竜』というやつは、蛇が元の怪物であり、その蛇の蛇行する様から川を連想している故に竜、大蛇には水にまつわるイメージが強く、また水としての性格も持っているわけですが、この、蛇から川を連想した昔の人々の感性というのはなかなか美しいですよね。
こういうのに触れると、人も自然とともにあった生き物なんだなあとしみじみに感じます。そしてまた、そうあるべきなんだろうなあとも思います。
PR