第二十六回はまたマイナー。妖猫、猫ショウ。それはそれはマイナーで、僕もあまり知らないし、何より「ショウ」の字が僕のパソコンでは変換出来ませんでした。
因みにこれといってどうというものでもなく、お話も僕は知りません。
とにかく猫ショウは、いわゆる猫又のワンランク上の出世妖怪猫です。
その辺にいる人に、化ける動物といえば?と質問すれば、まず狐と狸が出ると思います。次点で猫あたりだと思いますが、意外と古い民話とかを調べてみると化け猫のお話はそんなに数がなかったりします。鼬とかは多いです。
ただ、記録という形にはいくつかあらわれており、名月記には猫又が人間を一晩で7か8人食ったという記述があったり、あの徒然草にも、猫又は人間を食うよ。という、記述が残っているらしいです。
また、『物語』のジャンルにおいては、「猫化けもの」「猫騒動」なるものがあったほどで、その内容は化け猫込みのお家騒動もので、亡き女主人の怨念執念で怨みを晴らすため大暴れする怪物としてのものです。
猫はその気まぐれな性格や、独特の習性から、かなり古くから霊的性格付けがなされていて、昔から猫を死体に近づけてはならないとかいう言い伝えがあります。昔は本当にそれに習い、家のものが亡くなった場合、飼っている猫を近所に預けたりしたそうです。また対馬ではその昔、野辺送りをしている時に猫の化けた魔物が現れ死体をさらったというお話があり、家で死者が出た場合、飼い猫を籠で囲ってしまってたいたのだそうです。
また、昔は飼う期間をあらかじめ言い渡さないと化けるとか、体重が約3.75キロを超えると化けるとか言われていたそうです。
これでいくと現代は化け猫で溢れかえっていることになりそうですね。特に後者の理由で 笑。これでいくとウチの猫は確実に化けてます。当時はデブ猫なんてなかなかいなかったでしょうからね。
狐と狸でいうと、狐が陰で、狸が陽にあたるように、同じ霊的位置付けでも、やはり犬が陽なのに対し、やはり猫は陰の存在のようです。また猫はその瞳の形が変化するところからも変幻自在のイメージが生まれるんでしょう。他国でも瞳の変化を月になぞらえられていたり、霊的動物としての扱いは古いです。中国産の化け猫、金華猫(キンカビョウ)も、月の精を受けて妖力を蓄える妖怪です。
映画コンスタンティンでも猫を使って地獄へ行くシーンなんてのがありました。またキリスト教圏はやはりなんというか人間至上なので、動物畜生に対する扱いが結構なもので、有名ですが黒猫は不吉とされ、魔女狩りなんかの際には、魔女以外にも、猫や狐が一緒に火あぶりにされてしまっていたとかいう、悲しい歴史もあります。
そういえば以前、ネットやテレビでもちょっとしたニュースになっていましたが、『死神猫』なんてのが小さい話題になりました。
国は忘れちゃったけど、海外のある病院に飼われてる猫がいて、その猫は不思議と死期の近い患者のもとにしか居座らないという性質があって、院内では『死期を告げる猫』という意味で死神といわれていたというお話。
怖がる患者もいたらしいですが、多くの患者は猫が来てくれて最期を安らかに逝くことが出来たとか。
うちの猫もたまに何もいないところをじっと凝視していたりします。
いつだかなんて、台所でうちの猫がじっと空中を凝視していると母親がいうので、「なに見てんのピーちゃん(ピーター)」と僕が前に出ると、そのまま猫は最初に凝視していた空中と、僕とを左右に見比べた事があります 笑。
なんだかきょとんとしていて、しばらく見て何か納得したらしく、そのまま寝転がりました。『僕の隣の人』と僕が似てたんでしょうか 笑。
死神猫もうちの猫も、それが実際は何かの偶然でしかなかったとしても、人間側としては何かがあるのでは、と思いたくなってしまうものです。
動物妖怪ってくくりは、一方で神聖な動物があるのと同じく、人間が動物に対して抱くある種の尊敬や畏敬の念、憧れのようなものに端を発するんじゃあないでしょうか。
もしくは人間の霊だのに化かされてるとか、悪霊鬼神に憑かれていると思うより、動物に憑かれているほうが気が楽というか、なんとかなりそうな気がするのかも。
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