第二集発売からしばらく経ってしまいましたが…
パンデモニウム-魔術師の村-のあとがきです。
※以下、1・2集読後前提で書きますのでネタバレ注意です※
まず約一年間の連載にお付き合い戴き、真にありがとうございました。
月一の更新毎に皆さんがどう反応し何を想うのか、僕自身もワクワクハラハラしながら執筆するのは最高に楽しい経験でした。
これは描き下ろし単行本としてリリースした前作「ツノウサギ」では味わえなかった事です。時間に追われながらも―第11話では入稿がギリギリになり、第12話は読者さんをお待たせしてしまう事態となりましたが―これが連載モノの醍醐味かと。
特に最終話が更新された後にツイート検索に流れてくる感想を見たときは、ああ、終わってしまったんだと、何ともいえない感情がこみ上げてきたものです。
パンデモニウムの企画が始まったのは、ツノウサギが世に出てしばらく経ってからでした。キャラクターのスケッチから入り、担当編集の豊田さんとストーリーの大枠を作り、連載を目指してストーリー冒頭のネームを練りました。
実を言うと、ツノウサギ発刊後に色々あって、当時自分の描くものに対し迷いのようなものがありました。絵、スタイル、メッセージ、そしてそれらを軌道修正できるほど器用でない自分。
現在は「今の自分のための」それなりの回答を考え得て、それを信じている訳ですが、パンデモニウム企画当時の自分はそんな迷いの最中にあり、完成版の原型ネームを探りながら「この作品は大丈夫だろうか」と危惧していました。
その危惧の大きな一つが、本編の背景テーマの一つである、差別・迷信・都市伝説の要素でした。
正直に言って、現代日本においてこの問題はリアルで実感を伴うものなのか確信がありませんでした。
勿論、実際には日本を含む世界各地の様々な場所と形であり続ける問題ですが、読んで下さる方々にとって等身大のものなのだろうかと自信がなかったのです。今これを投げかける意味とはなんだろうと。
そんな中、日本は東北地方太平洋沖地震を経験しました。
地震、津波、原発事故、そして様々な形の『風評被害』。手を差し伸べられる筈がいわれのない差別を受け、リアルでもネットでも善意さえ行き違いをしたり行き過ぎたり。
僕自身もどうしようもない無力感を味わいました。(地震発生当時、その揺れにビビり、物凄いスピードのほふく前進でベッドに逃げ込む我が家の猫に笑ったりした後で事の重大さを知り、打ちのめされた時の感覚が忘れられない)
一方で、目を背ける事かなわないほどの現実を見て、パンデモニウムを、「魔術師の村」を描く意味を見出せました。大切なものを永遠に奪われ、それを受け止める事が出来ずにあがく主人公を描くことの意義も。
既に用意してあったシチュエーションに、僕の中で次々と重なっていきました。
勿論、全て直接のモデルではありません。兎に角このときの感覚が、パンデモニウムを執筆する上で常に、今も尚、僕の中にあり続けています。
僕の中で本作が動き始めたのはここからでした。
今作は挑戦の多い作品でした。
初めてのWeb連載、全編フルカラー、日英版同時進行、それによる英語擬音の描き文字と、横組み左開きの形式。
そして、これは連載開始時に個人的に掲げていた挑戦目標ですが、「登場人物を極力死なせたくない」「どこまで異形の者達を描けるか」というのがありました。
前者は目標というよりジファーの「身の回りで誰かが死ぬのが怖い」という自分との共通項だったと思います。
妙な話ですが、やむを得ずともキャラクターを劇中に死なせてしまった時でさえ、後々その展開は正しかったのか悩んだり、下手すると不毛な後悔の念に苛まれるのです。
そのくらい僕も死に対する恐れがありました。なので余計にジファーやモルテ、旅団が喪失と向き合えるかは―(あえて克服とは描きません)―作品のテーマである以上に、僕が自分と向き合うことでもありました。
後者の挑戦目標の意味するところは「姿かたちの異形度」ではありません。姿かたちはむしろ、少し見た目が違う程度であることが重要でした。
村人を初めて見たジファーは驚き、旅団たちは見た目で怪物どもと言い切る。でも、われわれ人間からすればハッキリ言って大差ないし、実際に事実もその通り。別に特別な種族という訳ではない。
少し遠回りな説明になりましたが、この「大差ないだけ」である事の残酷さを描き切る事が後者の目標の意味するところです。
こういった設定は人間キャラクターでやると諸問題で難しいものですが、やってみると動物キャラクターでもさじ加減は危ういものでした。
ブラウの母コボルガートと、同じく「引きこもり組」(アウトサイダーの中にあって更にアウトサイダー)の村人達は、その辺り重要な立ち位置でした。
明言はしませんでしたが、脇役であるマルコとコボルガートの関係性は特に。
パンデモニウムはツノウサギ同様、完結までの尺が始めから決まっていたものの、その尺を見据えてお話を構成したので、ツノウサギに比べて描きたかったシーンや演出、表情、台詞を無理なく詰め込むことが出来たと思います。勿論、サイドの収まらなかった部分もありますが、何よりも当初から描きたかったエンディングが描けました。
ジファーの告白シーン、実にかっこ悪いです。でも、「誰にも拾われず、野垂れ死ぬべきだったのかもしれない」とさえ思ったジファーが、「あなたに会えて良かった」と言えた。そこへ描き辿り着けて本当に良かったです。
エピローグも描いていて楽しかったです。締め切りギリギリなのに、使用する色数まで増やしちゃったりする程に 笑。(しかもパっと見で分かるような変化は無し!)
欲を言えば勢い的に村人全員のその後をコマにひそませたかったし、旅団についても触れておきたかった。でも何よりシュリットの存在とモルテとのかけあい程、描いてて幸せだったシーンは他になかったかもしれないです。
ジファーもドミーカもモルテも、そしてシュリットも、恐らく波乱の16年を歩んだ筈。徐々に世界は変わりつつあるとはいえ、これからも苦労は耐えないだろうし、真っ直ぐな雷の脅威もそのまま。万が一でもジファーたちが再び悲劇にさらされないとも限らないし、第二第三のアーカムハイムは生まれ続けるでしょう。ジファーは世界を救えません。
でも今のジファーなら向き合えます。悲劇に巻き込まれるにしろ、悲劇に遭遇するにしろ、今のジファーならきっと力になれます。
ジファーがドミーカに出会えて本当に良かった。
さて、いよいよ長すぎになってきたような。久々の長文記事で文章のヘタッピさに拍車がかかった気がします。そろそろ最後のご挨拶。
この約一年間の連載にお付き合い戴き、重ね重ね本当にありがとうございました。
相変わらずツイッターやブログをエゴサーチして感想読ませて頂いております。
香らせる程度に含ませた要素や設定さえも読み込みすくって下さっているのを見ると本当に嬉しいです。描いた甲斐ありというか、ここまで内容を拾ってもらえると冥利に尽きるの一言。いつものジャッカの言葉を借りるなら甘・味料!です。
ファンアートもとても楽しく覗き見てます 笑。今回は海外からもちょくちょく頂ける上に、台詞のアテレコ動画やテーマ曲の作曲など、日本ではあまりみないようなファンメイドも見ることが出来てとても楽しいです。
辛抱強く僕を支えてくれる家族、いつも一緒に遊んでくれる友達にも感謝。
辛抱強く支えてくださったといえば、担当編集の豊田さんにはツノウサギの時にも増してお世話になりました。
パンデモニウムを今の形で発表する事の出来たのは他でもない豊田さんのおかげです。
単行本の装丁デザインをしてくれた5GASの小島くんもありがとう!!僕の絵を素材に、あんなにカッコ良仕上げてもらえて嬉しいよ!また頼む!また頼めるよう頑張る!!
物語は一先ず終わったけれど、描きたいキャラや、描けるかもしれない事が増えた気がします。未だ具体的なことは動いてませんが、また作品を世に出せたときは宜しくお願い致します。
こんな長駄文をここまで読んでくれてありがとう。