第二十四回は知名度的にはメジャーな妖怪、ぬらりひょんです。
妖怪の総大将などと呼ばれ、随分デカイ肩書きなぬらりひょんですが、上に書いた通り知名度的にはメジャーですが、その実態に関してはマイナーな妖怪です。
ぬらりひょんは山に住まう妖怪で、夕方頃にふらりと現れては勝手に家に上がりこみ、皆の気付かぬ内に茶を飲んだり、家の主の煙管をふかして帰るという妖怪です。
商人風の着物を着ていて、人間の心の隙をついて現れるので、多くの人はその存在に気付けないというのです。
果たしていつから妖怪の総大将なんて呼ばれているのか分からないんですが、この、『掴めない雰囲気』が、妖しくて怪しい妖怪の中で総大将クラスって事なんでしょう。
確かに、どこだって本当の総大将ってのは、そうそう目に見える場所には現れないモンですからね。それも妖怪のとなると、こんな感じなんでしょう。きっとぬらりひょんは人間の歴史に出てこん所で忙しいんです…と、ぬらりひょんの為に言ってみます。
ちなみに、ぬらりひょんという名の妖怪には、海坊主の一種であるものもいるといいます。それは海上に丸くてスベスベな坊主頭をぷっかりと出し、それを捕まえようとする人間をからかうというものです。
どっちにしろなんとも掴めない妖怪であることは変わりありませんね。大体名前からしてそんなだもんね。
こっちの海のぬらりひょんに関しては、蛸なんじゃないかとか思えるので、絵のぬらりひょんはどちらのイメージも総合してタコ柄です。
結構こういう生き物の見間違い妖怪、もしくは珍しい生き物を妖怪扱いしてるってのもよくあるみたいです。
例えば、西洋には『海の司教』という妖怪がいるのですが、これはダイオウイカなのではっていう話があります。確かにイカの頭巾部分は司教帽に似てますからね。あんなにデカイイカがいるって意識が無い状態でそれが大洋でいきなり現れたらそりゃモンスターですよね。いや、そうじゃなくても十分モンスターだよね。海怖い。
他にも、時々妖怪を調べていると、これって今いないだけで絶滅動物なんじゃないか?って思うのもチラホラ。
因みに「empty head」でチラッと出しておいてなんですが、ツチノコの正体は太ったキジトラ柄の猫だったんじゃあないかと勝手に思っています 笑。
話がちょいと逸れました。ぬらりひょんはその肩書きもありますが、そのインパクトの凄い容姿が、地味な特徴に対してメジャーな知名度に押し上げているんじゃあないでしょうか。
この絵は一応タバコにちょいと入る挿絵ってのが前提だったので描き込まずグロくならないようにしましたが、本来ならもっとぬらりひょんな顔に描きたかった 笑。
ぬらりひょんは色んな人が描いていますが、個人的にベストオブぬらりひょんは、河鍋暁斎という人の描いたぬらりひょんです。超こええよ!そしてカッコイイんだこれが。
河鍋暁斎の描く妖怪は動物もそれ以外も禍々しくてカッコイイです。多分調べれば直ぐに出ると思いますが、この方は結構グロイ絵も描いていた人です。
妖怪絵は他には北斎や国芳あたりが描いたものも好きです。石燕も好きですが、それはどちらかって言うと図鑑的な意味で。暁斎、北斎、国芳の妖怪画はすげーカッコイイです。僕はあんまり芸術が解る知識人ではないのでアレなのですが、単純にカッコイイんです。まあ妖怪画に限らずなんですけどね。
このカッコイイ感覚は今の漫画的というか、よくあるゲームのキャラクターなどばーっとした派手な感じというか…何か共通の雰囲気というのがある気がします。仏像なんてのはそのままロボットとか格闘ゲームのキャラクターになれそうな勢いだもんね。
こういう大衆的な文化面は本当に昔も今も根底はずっと変わらずにあるんだなあと思います。
それは笑いであったり、アクションであったり、恋愛であったり、歌であったり、カッコ良さであったり、可愛さであったり、色気であったり、ポルノであったり、暴力であったり、残酷描写であったり、ミステリーであったり、占いであったり…
人間の欲しがるものってのは変わらないんですね。なんだか大分話がズレタ。
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