塵もつもれば山となり
更につもれば怪となる
それ束ねるは塵塚怪王
塵の山の塵塚怪王
今週の妖怪絵札は今度こそマニアックだと思われる塵塚怪王です。
どんなお方かといえば、名を読んで字のごとくです。塵の塚、つまりはゴミの山から生まれた妖怪の王です。
確かにゴミも長い間そのままにすると異臭だのなんだので妖怪じみてきますよね。
昔のゴミなんてそれこそナマモノや木材で出来たものばかりですから尚更雰囲気はあったでしょうね。
図ではゴミがダンボールだったりタイヤだったりしていますが、本来こういう人の手で作られていないものには霊はこもらないもんなんです。でもそういうスピリチュアルな面じゃなくて、ゴミそのものの汚さが怪物になりそうだよねってところからこんな按配に。
そもそも、僕が小学校低学年の時に住んでいた家の近くに、自転車やら洗濯機やらタイヤやら車やらが山になって投棄されている林があって、友達とよく遊んでいたんです。そのゴミから色々ひっぺがして材料にして秘密基地を作ってました。
引っ越した後の森にも車が投棄してあったりして、(よく考えなくても危ないと思うんだけど)それを破壊したりして遊んでました。なんでか少年時代はガラクタとともにあったんです。
そのせいか投棄されたガラクタには、なにやら哀愁をも感じてしまいます。だから描くのも好きだったり、短編集の「in bitter rain」の冒頭のゴミ捨て場のシーンには気合入ってたりなんです。
ちなみにこの塵塚怪王、見れば解るとは思いますが、オリジナルとは大分かけ離れています。石燕の描いた塵塚怪王は猿みたいな顔の鬼のような雰囲気です。
僕の描いたものとの共通点は名前と、冠と、あとは指の数くらいのもんです。
蛇足ですが、「指三本」という描写は、鬼や龍、妖怪によく見られるタイプなんです。
本来人間の五本指は二つの美徳(知恵、慈悲)と三つの悪(瞋恚、貧貪、愚痴)を示しているといわれ、鬼と化した人間はその二つの美徳を失った状態なのだというのだそうです。
でもまあ、こんなものを細かく意識して妖怪絵に反映させてるわけではないと思います。妖怪のデザインてのは基本ノリとパロディですからね。
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