実相坊 阿ジャ梨 頼豪
鉄の爪と牙の妖鼠に変じ
八万のネズミひきいて
叡山を喰い荒らさんとす
第十二回はメジャーどころ(だと思うんですが)の鉄鼠です。
とりあえず早速「アジャリ」のジャの字が僕のパソコンでは変換できませんでした 笑。門がまえに「者」を書いた字が正しいです。
一応ですが、鉄鼠と書いて「テッソ」と読むことを補足しておきます。
まあ、文の通りの妖怪です。
もともとは頼豪という名の天台宗の園城寺(三井寺)の僧でした。
当時、白河院が皇子が生まれるのを熱望していて、そのための祈祷を頼豪に依頼したのが始まりです。
白河院は頼豪に祈祷により皇子が生まれた暁には、何でも褒美をやろうと念入って約束したので、頼豪はとっても頑張って祈祷しました。
当時園城寺には独立した大乗戒壇がなかったため(これがないのはもうほとんど正式な僧として認められていないのも同意)、頼豪は三昧耶戒壇を建立したくてしょうがなかった。
なぜ今の今まで建立出来ずにいたかというと、建てようとするものなら、ライバルの比叡山が反対運動を繰り返していたから。
頑張って祈祷を続けた結果、見事に皇子が生まれて白河院も万歳。頼豪はそれではと、三昧耶戒壇建立の勅許を下さるように求めました。しっかしそれを聞いて白河院はビックリ。当時比叡山の勢いは凄まじく、もしここで勅許を下せば、比叡山の反対運動で朝廷が攻撃されるのが怖かったのです。
事実、その許可が出るという噂が出るたびに、比叡山から護国の祈祷をやめるとまで脅しを入れられたことがあったくらいで、とにかく、比叡山を敵に回すことは朝廷の滅亡に直結することだったのです。
だからその願いは聞き入れられないとした白河院。それを聞いた頼豪は怒り狂い、持仏堂にこもり、一切の飲食を断ち、呪いの護摩を焚き続けた。
恐れた白河院は人をやって説得しようとしたが、頼豪は
『私が皇子を誕生させた。ならば取り返すまで。皇子を道連れに魔道へゆく』
と聞き入れず、呪いの護摩を焚き続けながら餓死してしまった。
その呪いのせいか、例の皇子はわずか4歳で謎の死を遂げてしまう。
しかしそれのみでは収まらず、頼豪は鉄の爪と鉄の牙の大きなネズミと化し、八万四千匹のネズミを率いて、比叡山の仏像、経文、宝物を手当たりしだいに食い荒らした。
最終的には比叡山もかなり手を焼き、しかしなんとかこれを神通力で治めたというお話。
これは後にも結構脚色されたりしています。手塚治虫のどろろにも、これをモデルとした妖怪が登場していますよ。
この絵では、一応文化祭で売る用に作ったものだったので怨念は抑え目、可愛い目にデザインして描いているけれども、実際はまあこんな感じでなかなか凄まじい妖怪です。
園城寺は修学旅行で行ったなあ。子の社がありました。子って勿論ネズミの『ネ』ですよ。
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