妖怪絵札復活三回目は煙羅煙羅です。
読んで字の如く煙の妖怪(または煙に宿る妖怪?)。
煙っていっても別に有毒ガスな妖怪とかそういうのではなくて、恐らく昔のかまどだとかそういう生活感のあるレベルの煙の妖怪です。多分。
別に何というものでもなくて、煙をじっと見ていると見える様々な“ モノ ”が煙羅煙羅で、ようはつまらない言い方をしてしまえばただのそうみえるだけの偶然の形。
え?それだけの妖怪?って感じかもしれませんね。僕も煙羅煙羅の「何でもなさ」は驚きました。
でも同時に感心もしました。
煙の中に何か色々なカタチが見出せる。それに名前をつけた。これは「わざわざ名前を付けた」という領域ですよね。
もしかしたら昔は生活の中に身近に煙があった以外にも、儀式的な意味での煙(それは火も伴う)の神秘的イメージにも由来するのかもしれないけれど、なんていうか煙をぼ~っと眺めている余裕と、それに名前を付けてしまう日本人の変な優しさ(?)みたいなのが面白いです。
川男の時の話と同じになっちゃいますが、煙羅煙羅も現代日本では全く相手にされないタイプの妖怪でしょう。
ただ毎日の生活でさえ窮屈。その上何か急かされる。
先進国の中でも最も急かされて生きなきゃいけないのが日本なんじゃないだろうか。とにかく失敗が許されない。失敗が許されないから、行き先も定まらないまま過剰に早くに手を打つことを要求される。だから勉強は勉強じゃなくていい学校に入る為の知識の羅列だし、知った事に関して個人的に突っ込んでいる暇がない。
やりたいことが始めっからブレナイ人間ならそれでいいけれど、そんな人ってそういない。なのに急かされるから必要以上にみんながみんな余裕がない。それでいて、人間みんなスタートラインが平等な訳でもないのにやれ勝ちと負けの二元論が一般的にあるから困る。
そんな甘いこと言ってると生き残れないよって言われてしまうのが常ですが。
でも社会のしくみも構造もペースも人間が作ったのだから、それに一方的に叩きのめされ続けるのには気に食わんよなあ。
断っておくと、僕には別に文明批判の精神はないです。思いっきり恩恵を受けているし。
この文章もそうだし、描いてる絵も漫画もあんなだし、漫画家目指すくらいだから、多くの人に僕は『現実感のない空想だけの人間』と思われてると自覚しています。
でも言ってしまえば僕は世の中に対しても自分自身に対しても絶望的なくらいシビアな視点も持っているつもりだし例の如く余裕がないです。でも薄っぺらいのは事実かな。安い理想主義者です。
うーん。話が逸れまくりだしちょっと書いて後悔したぞ 笑。
後半、読んであまり心地のいい文じゃなくてすいませんでした。
煙羅煙羅の話だったのに!!!
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