復活の妖怪絵札のコーナーです。
以前のシリーズの時には変な妖怪に添えた文がありましたが今回からはない方向で。
復活一発目は川男。
いわゆる河童ていうのが河川の妖怪の代表格な訳ですが他にも色々おられるわけで、川男はその中でもマイナーかつ大人しい妖怪です。
川男は名の通り川にいるのですが、河童と違いその姿は人間に近く、色黒で、異常に背が高いのだそうです。
かの水木しげる翁の本によれば、昔はノッポの人のことを「川男を見るがごとし」といったくらいだそうです。完全に死語だけど、いつ頃使われてたんだろう。ていうかそんなにポピュラーだったのかなあ。
因みに江戸時代のいわゆる国語辞書には川男が載ってたらしいです。
川男は大きな川にいることが多いそうです。
しかし河童のように
馬に悪戯するだの
尻子玉を抜くだの
相撲をとるだの
便所の中から手をにゅーっと伸ばして御婦人の尻を撫でたりして後日女装した主人に腕切られてその後改まった風で面と向かって現れてはすみませんでした僕の腕を返してください。よよよよ。だのだなんてことは全くしない川男です。
本当に何もしません。決まって川辺に二人並んで腰掛けていて、何か物語りなどを話しているだけ。
人畜無害。あまりの地味さに何かにとりあげられる(漫画とかゲームのネタに)ことのない『使いようのない』妖怪っぷりですが、僕はそんな妖怪が大好きです。
なんのためにいるんだか分からない。でもなんだかそこにいる。多分いなくてもいいような存在なんだけど、なんだかそこにいる。神秘的とは違うけど、雰囲気があっていいよね。不思議で日本の妖怪ぽい。
こういう妖怪は実際いたんじゃないかって思えるくらい存在にリアリティーがありますよね。実際、今はいない人達なだけのかも。
しかし今の世の中、川男なんてのはいても相手にされないでしょうね。忙しくって目にもとまらない。目にとまってもかまってる暇なんかありゃしない。生きること自体に焦りと不安を感じる世の中です。テレビは恐怖の大安売りだぜ!!
日本民俗学の柳田国男は妖怪は神の零落した姿だと言ってますが、妖怪のルーツと正体が何であるにせよ、どの妖怪も歴史的追いやられた者の姿であるというのは事実だと思います。単に動物や虫や植物や自然的な現象の擬人化という側面も勿論ありますけども。
そんな彼らに惹かれるというのは、何か弱い者に寄り添いたくなる感覚に近い気がします。それは少し高い位置から守るという意味ではなくて、むしろ共感に近いところで。
こういう相手にされない川男にも、怒りや恨みで自分を抑えられずに何かを殺してしまう怪物系の妖怪にも、その弱さがむしろ人間的で、そこに自分にもある弱さを見出してしまったりで。
妖怪は基本的に寂しがりな連中が多いと思います。目立った事して有名になった連中も、それはそれはマイナーで誰にも知られてない連中も。
だからどんなに凶悪なのにも地味なのにも愛を感じずにはおれないのかもしんないです。
ただでさえ非科学的て超常的な古い歴史の人たちです。たまには彼らを楽書いて相手をしてやらないと。
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