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一応日記的なもの

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3a54f2f7jpeg塵もつもれば山となり


更につもれば怪となる


それ束ねるは塵塚怪王


塵の山の塵塚怪王







今週の妖怪絵札は今度こそマニアックだと思われる塵塚怪王です。


どんなお方かといえば、名を読んで字のごとくです。塵の塚、つまりはゴミの山から生まれた妖怪の王です。
確かにゴミも長い間そのままにすると異臭だのなんだので妖怪じみてきますよね。
昔のゴミなんてそれこそナマモノや木材で出来たものばかりですから尚更雰囲気はあったでしょうね。


図ではゴミがダンボールだったりタイヤだったりしていますが、本来こういう人の手で作られていないものには霊はこもらないもんなんです。でもそういうスピリチュアルな面じゃなくて、ゴミそのものの汚さが怪物になりそうだよねってところからこんな按配に。


そもそも、僕が小学校低学年の時に住んでいた家の近くに、自転車やら洗濯機やらタイヤやら車やらが山になって投棄されている林があって、友達とよく遊んでいたんです。そのゴミから色々ひっぺがして材料にして秘密基地を作ってました。
引っ越した後の森にも車が投棄してあったりして、(よく考えなくても危ないと思うんだけど)それを破壊したりして遊んでました。なんでか少年時代はガラクタとともにあったんです。


そのせいか投棄されたガラクタには、なにやら哀愁をも感じてしまいます。だから描くのも好きだったり、短編集の「in bitter rain」の冒頭のゴミ捨て場のシーンには気合入ってたりなんです。


ちなみにこの塵塚怪王、見れば解るとは思いますが、オリジナルとは大分かけ離れています。石燕の描いた塵塚怪王は猿みたいな顔の鬼のような雰囲気です。
僕の描いたものとの共通点は名前と、冠と、あとは指の数くらいのもんです。


蛇足ですが、「指三本」という描写は、鬼や龍、妖怪によく見られるタイプなんです。
本来人間の五本指は二つの美徳(知恵、慈悲)と三つの悪(瞋恚、貧貪、愚痴)を示しているといわれ、鬼と化した人間はその二つの美徳を失った状態なのだというのだそうです。


でもまあ、こんなものを細かく意識して妖怪絵に反映させてるわけではないと思います。妖怪のデザインてのは基本ノリとパロディですからね。

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228bebccjpeg血肉がほしくて血肉がほしくて


今宵も骸より禽獣とびたつ


いつまでいつまで と自らを嘆きながら











今週の妖怪絵札は前回とうって変わってマイナーな以津真天です。


食べ物に飢えているのを仲間に見捨てられ餓死し、そのまま野ざらしにされてしまった人の怨霊が変化したものが以津真天です。
その名前『以津真天』は、以津真天の鳴き声に由来します。
怪鳥となった怨霊は、自分を見捨てた者を探し、「いつまで いつまで」と鳴きながら付きまとうのだそうです。


「いつまで」というのは「いつまでも付きまとってやるぞ」というのと、「いつまで私を野ざらしにしておくのか」という嘆きの意味なのだそうです。その「いつまで いつまで」という鳴き声がそのまま転じて『以津真天(いつまでん)』という名前になったとか。


おんなじ死体が変じて怪鳥となるパターンとしては、陰摩羅鬼(おんもらき)などがあります。これは死体の気が変じた鳥で、目を光らせながら高い声で鳴くらしいです。
鳥に何か怨霊じみたイメージでもあったんですかね?それとも、その正体不明な鳴き声が霊的なものを感じさせたんでしょうか。


日本版キメラな有名な妖怪に鵺というのがいますが、元を辿るとそれは不吉な鳥のことで、その鳴き声は死者を呼び覚ますとして恐れられたらしいです(「鵺」には、正体不明の怪しいものという意味があります)。
鵺の歴史は古くて、古事記や万葉集にも記述があるとかどっかの本で読みました。以津真天や陰摩羅鬼の先輩ですね。


ちなみにこの以津真天は以前ここにアップした○年前に描いた漫画にも登場させてました。
なぜか団三郎(漫画で黒犬と戦ってたアレ)の部下でした。


(以下一部抜粋)


itumade1.jpg初登場(団三郎も苦笑も)。


普段は目隠しと錠とで封じてあります。これは長壁姫という大妖怪が以津真天に施したもので、団三郎の合言葉で封印が解けるようになってます。


itumade3.jpg君に決めたッ!(注:これは合言葉では御座いません)


itumade4.jpgどーん。解放されました。



itumade2.jpgで、まあ空飛べるので便利みたいな。


全然怨霊として描いてません。飯(生もの)のために戦うキャラでした。

 

2cdebd21jpeg妖狐死してなお石に妖気をとどめ


九つの尾ふるいてその毛並を女の肌へと変ず















今週の妖怪絵札は九番目ということで九尾狐です。メジャーもメジャー。様々なところでネタに使われていますね。


解説も特に必要ないと思いますが簡単に。インドの華陽婦人、中国のダッキ、日本の玉藻前等の美女になり、王をたぶらかして国を傾けたお方です。


その中の日本の玉藻前について少し説明しますと、まあ時の鳥羽法皇が、頭がよく様々な事柄に詳しい上に(まさに)傾国の美女であった玉藻に目に付けまして、自分の妃にするわけです。鳥羽院はゾッコンで玉藻前を寵愛するんですが、どうにも様子がおかしい。陰陽師安倍康成が調べてみたところ、玉藻前の正体はインド、中国と国を乱してきた九尾狐。そういう訳でばれてしまった玉藻はその本性を現し、那須野原にて退治される訳です。


しかし、その玉藻前の力はその那須野原の石に宿ってしまいます。空を飛ぶ鳥や動物がその石の毒気にやられ、石の周りは鳥獣の遺骸が散乱する有様。やがてそのことを話に聞いた玄翁和尚は、殺生石の元に赴き、石を化度し、その錫杖で石を砕いたのです。それが今の那須野湯元の殺生石だとか。


殺生石は去年栃木在住の友達の家に遊びに行った際にわざわざ連れて行っていただきました(ありがとうございました)。温泉地帯で、硫黄の臭いがプンプン。実際硫黄ガスの濃度がその石付近は凄いので危ないのです。石の近くにそのガスにヤラレタのか、何かの小動物の白骨がありました。


殺生石の破片を祀っているお寺やら、玄翁和尚が供養をする前に供養に失敗し死んだ僧のお話などもありますがまあそれはまたの機会にでも。


ちなみに皆さん一度は頭を掠めたことがあるのではないでしょうか。『なんで尾が「九」つ?』


由来あるんですよ。昔調べました。
元はと言えば、九尾の狐は妖獣ではなく、吉兆のしるしとして現れる霊獣だったんです。ルーツは中国なんですが、中国において、「九」という数字は幸福の最大数なんです。それ故、九つの尾を持つ狐は子孫繁栄、未来幸福の象徴だったんです。中国の民謡には昔、「塗山の九尾に会えば王となり、塗山氏の娘を娶れば家が栄える」というのがあったとか。


しかし、中国の怪奇小説や日本の玉藻前伝説により今の妖獣のイメージが強くなってしまったんですね。


昔は何かと王が堕落するとその妃のせいにしたりしたようですね。ダッキだのホウジだのそんな話がいっぱいあります。そういう悪女のことを飛縁魔とかいうんですが、王が悪いよ 笑。もしくは王『も』悪いよ。


何かいくらでも書けそうなのでこの辺でやめようと思いますが、『美しい』ってのは異常に強い力を持ってますよね。いつの時代でも美女(もしくは美男)の為に人生懸けてがんばる人はぎょーさんいますからね。そこに目を付けた九尾は正解だったとおもいます 笑。


最後に、昔この僕の描いた九尾の絵を友達に見せたところ、エロいって言われました。


オヤオヤ…笑 

cf2c8be7jpeg鈴の音に誘われ 死出の旅



















今週の妖怪絵札は八乙女です。↑の文も短いですが、こっちの説明も短いです。
実を言えばよく知らないのです。名前も荒俣宏の文でちょこっと読んだだけで。


もう説明されてますが、鈴の音に誘われて夜この八乙女についていくと魂を抜かれるとかそんなんらしいです。


本来、「八乙女」っていうのは神楽を舞う人のことなんですが、関係あるんですかね?巫女というより尼僧の格好ですが。そしてなんで鶴なのか。


ちなみにこれもオリジナルに忠実かつ、百鬼夜行絵巻の類にはよくいる人なんで、探せば直ぐ解ると思います。ゲームの「大神」にもチラッとそのオリジナルが。ストーリーの合間合間に挟まれる絵巻絵の中によーく見るといますよ。箱舟ヤマトから妖怪達があふれてる図とか、他にも色々。


ちなみに八番目で八乙女です。つうことは来週は九番目。ベタなところで大体予想もつきますね。
毎回の(今回は短いけど)長駄文を楽しみにしてくれている方がおられるかは微妙なトコですが 笑

a0457fa1jpegクダ走らせ 千を知り


クダ憑かせて 誅殺を試みる


クダに悪なし クダに善なし











今週の妖怪絵札はもはやメジャーどころの管狐です。


これもほとんど解説なんていりませんよね。
手のひらサイズの生き物で、これを使役して人を呪ったり、予知を行ったりするという。普段は竹や木の筒に入れたり、袖に入れて持ち運ぶという、アレです。


多分、要は式神(識神)とかと同じ部類だと思います。
安倍清明や役小角とかの一流は十二神将だとか前鬼と後鬼といった鬼神を使うのが定番だけれど、同じ部類とはいえ巫女や山伏、民間陰陽師はこういう獣の霊的存在を使ってたんですね。


管狐のことを、飯綱(井綱)と呼ぶということも、もう説明する必要もないよね?井綱使いは普段は家の床下に飼ったりするそうな。


「管狐を飼うって、要はどういうことよ?」って思いませんか。霊的なものを「飼う」とかって何?って。どこから井綱使いって始まるんよ?って。


本で読んだんですが、一応あるんです。霊狐を使役する法ってのが。
『管霊狐魂魄使役神通真伝経』というのがあるんだそうです。流石に空に覚えるのはキツカッタので、本をメモしたものを紹介します。


まず、管狐の魂魄を召請するためには49日間、五辛の飲食、酒色、不浄の穢れを戒めねばならない。


①管狐の魂魄を召請するための霊符を奉書紙あるいは羽二重の極上布に記す。


②その紙を九字にちなんで、縦4折、横5折に折って小さくし、縦3寸、横1寸、深さ5分の檜の箱に入れ、錦の袋で包む。


③深夜、丑の刻にこの箱を安置し、北斗七曜にちなんで、七つの灯明を献じ、飲食物を供えて香を焚く。


④その前で呪文を唱え、霊符を空書する。


⑤「管霊狐駆役如意神通之呪文」を唱えつつ、次のことを観想する。キリカクの字(梵字の一つのことね。キリークの字に似てるやつ。文での説明ムズイ 笑)が変じて人黄となり、人黄が変じてダキニとなり(狐の精で、六ヵ月後に死ぬ人間を察知してその肝を食う美女の姿のインドの鬼神。日本の仏教ではダキニ天として祭られてる仏様ですよ!)、ダキニが変じて文殊菩薩となり、文殊菩薩が変じてダキニ辰狐王(=ダキニ天のことなんだけど、この辺は説明が実にムズイです。辰狐王っていうのは、天に住まう神聖な狐、辰狐の王で、ああ、なげえ!また今度!!!笑)となる。ダキニ辰狐王が変じて管霊狐となり、その魂魄威霊は呪文の力によって自分の脳頂より腹部に降下し、それが口からいでて、箱の中の霊符に降憑する。


というようなことを、49日間繰り返す。この法を行うと、早ければ2週間ないし3週間、遅くとも4週間から5週間の内には必ず応験があり、眼前に白狐が出現したり、ダキニの尊体が示現したり、あるいは神秘的な霊光が修法している部屋いっぱいに遍照したり、狐の声を聞いたり、管霊狐の背に乗って空中を飛行する霊夢をみたりするという。


このようにして49日で行が終われば、その霊狐に名前をつけて日々祀る。そして必要に応じて願い事を念ずれば、それを霊狐がかなえるとされる。


― らしいです。いやあ、流石に便利な狐さんを使役するには、大変な苦労が必要なんですね 笑。そりゃ他の事を絶って49日間も狐さんの事考えてりゃ夢にも見ますワナ。流石に実行は出来ませんね。つかまず霊符と呪文がわからないです。


昔の人は面白い事考えるなあ。面白いと思いませんか?そうですか。


こういう霊的な事に、「名前」を付ける。っていうのは必須なようですね。要は精神的な存在ですから、名前が霊的な不確かで捕らえにくいものを「縛る」わけですね。だから目に見えない式神にも必ず名前があって、名前で使うわけです。


妖怪なんてのも、これと同じですよね。夜、どこからか小豆を洗うような音が聞こえる。それを人が「小豆洗い」という妖怪だといい始める。その「音」は名に縛られて「小豆洗い」になるわけですよ。天井の染みも、あれは「天井嘗め」がやったのさ、と誰かがいい始めると、その染みは名に縛られて、「天井嘗め」が来たしるしになるわけですね。
名が縛るから妖怪はいることになるんです。そういう名で呼ばれてた頃には、間違いなくそれはそこにいたんでしょう。


今や日本は夜でも明るい町に溢れてます。想像の余地がないですよね。いちいち不思議に名前を付ける余裕のある人もおらんし。これでは妖怪なんて「いる」ことにはなれませんよね。妖怪も今やキャラクター商品になるのに必死ですからね 笑。





そういえば、小学1年の頃は何故か学校の怪談話が異様に流行ってた。よく、誰それが口裂け女に遭っただの、昨日花子さんが出ただのってみんなで噂をしてました。それも、そういう遭遇話が頻繁に。
今考えるとなんだか妙なんですが、あの時は何故か彼等の存在がリアルだった。


これはもう夢に見た記憶との混同で、事実だったかヨクワカラナイんですが、一年生の時に、『今トイレに花子さんがいる』って話が飛び込み、友達とそのトイレに向かったんです。着くとそこのトイレのドアの前の廊下に十数人以上の人だかり。みんな恐る恐るトイレに近づいている模様。僕も後ろから見ていました。
と、突然、物凄い音がして、バーンとそのトイレのドアが開いたんです。でも、その扉をバーンと開いた中には誰もいない。どういうことだ??思わずみんな「うわあ!」と声を上げます。女子の甲高い「きゃあ」が今も耳に残っています。


― でもそこまでの記憶しかないんです。僕は2年生の時と3年生の時に引っ越していて、その時の小学校の友達とは全然会ってません。だからその記憶がただの夢だったのか、なんだったのか、未だにさっぱり分からんのです。



まあ、それが夢だったとして、とにかくその頃花子さんだの口裂け女だのは子どもの僕にはリアルな存在で、その時彼等は確実に僕らの中にいました。


でも、それが怖かったかというと、何故かあの頃僕らはそれをこの上なく楽しんでいた気がします。そして今でもそれは何かワクワクさせる思い出として記憶に微かでありながらもなお、色濃く残っているんです。

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